僕は趣味が読書で、毎月10冊程度読んでいます。楽しいから読んでるのだけれど、何が楽しいのか、自分なりに考えてみました。そして、結論、僕が読書が楽しいと思う理由はこれです。
他人の激動の瞬間を、簡単に家の中で疑似体験できるから
もっと意識が高い結論が欲しかったですが、これが正直な気持ちです。以下でもう少し詳しく説明していきます。共感してくれる人がいるとうれしいです。
小説が楽しいと思う時の感覚
小説の楽しさと、引っ越しが好きな僕は新しい街に越してきた時の感覚が似ていると思っています。この感覚がわかる人いますか?
新しい生活を始めるために引っ越してきた街で「頭の中に地図が入っていない状態」で、面倒くさい人間関係もなく、やらないといけないこともまだない。ノンストレスで天気が良く気持ちの良い昼下がりに、ワクワクしながら散策している感じ。
頭に地図が入っていない、どこに何があるか分からない状態での新しい街の散策って楽しくないですか?これと似た感覚を持つことが多いです。この道を曲がるとここに出るのか、この店はお昼ごはんで使えそう、このカフェは読書でゆっくるできそうだな、とかをワクワクしながら大小さまざまな発見をしていく、あの感じ。
もう少し詳しく考えてみた
読書中は小説の中の人物に自己投影することで、その人視点で物事を考えることになりますよね。
物事に対して、この人はこういう感じ方をするのかと、こんな行動に繋がるのかとか、自分と違う発想に驚いたりワクワクしたりする感じが新しい街で散策している感じと似ていると思うんです。
さらに、物語の人物なので無責任に疑似体験できる点が、新たに生活をスタートさせるノンストレスな感覚と似ている。現実では絶対に経験しない体験を自分事のように、安全な場所でお茶とお菓子を食べながら、疑似体験できる。楽しいに決まっていると思うんです。
他人の激動の瞬間を疑似体験できる楽しさ
読書をするメリットは多くの本に色々書いてありますが、疑似体験できる点は共通項になっていると思います。僕は「楽しみ」という点では間違いなく、疑似体験が最大のポイントだと考えています。
さらに小説になっているのは、その人の激動の瞬間が含まれていることがほとんど。
自分では人生に1回経験するかどうかの、何かを悟る瞬間や価値観の変わる瞬間を手軽に経験できる。
これは結構すごい事だと思います。
疑似体験の効果(読書の大きな副産物)
僕自身、意識して読書はしていないが、いろいろな人の考え方に触れることができ、多様性が理解できるようになったと思います。嫌な事があっても、その人のバックボーンを想像して、大体の場合は「そういう考え方もあるよな」と割り切れるし、さらに嫌いになりそうな人は勝手に悲しい過去を想像して、付け加えて憐れんでみたりしている。人間関係で相手の立場を想像できるのは読書のおかげが大きいと思います。
好き勝手に脳内で映像化できる楽しさ
読書の楽しい点は、自分の中で好き勝手に映像化できることもあると思います。文脈の中にあるヒントから自分なりにイメージをかためて読むことができる。映画みたいにイメージと違うなんてことは絶対に起きないです。
場所の雰囲気や、景色の感じなんかも自分の頭の中でイメージが自然と湧いてきます。文字を読んでいるというより、言葉の文脈を考えながら映像化している感じです。文章が好きな作家はこの作業がスムーズに進み、苦手な本はこの作業に時間が掛かります。
あとは歴史背景が分からないとどんどん、映像がぼんやりしてくるので、しっかり読みたい本は、その辺を調べながら読み進めたりしています。
自分の好きな解釈で好きなように映像化できる事がとても楽しいです。
脳内での映像化の効果
読書の場合は意味を自分で解釈し続けないといけないので、受け身でなく、読むが側は主体になる必要があります。映画や漫画は作る人の伝えたい、何かしらの意図があった映像を見ることにになるので、ぼんやりしてても意味は理解できることが多いと思います。文
章の中に散りばめられたヒントを組み合わせて理解していく作業をすることは、意図を読み取る力が養われると思います。僕は趣味でタロットカードをやりますが、能力があるわけではなく相手の考えていそうなことを予測して当てることが得意だと思っています。
発言だけではなくて、言ったタイミングとか表情とか言い方とか、もろもろ吟味してカードの内容と組み合わせていきます。これも読書で養った能力が上手く使えてるのかなと、思うようになりました。
まとめ
今回は僕がどうして読書が面白いと感じているのか、無意識だったところを文章化してみました。
色々、副産物的なメリットもありると思いますが、純粋にこれが楽しいから僕はこれからも娯楽として読書を続けていくと思います。文章化してすっきりした!
以上です。さようなら。
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