先日ふとしたことがきっかけで、
吉本ばななさんの「とかげ」を読み返して懐かしい気持ちになりました。
懐かしいつながりで印象的だった「サンクチュアリ」を10年ぶりに読み返してみました。
この本が印象に残っているのは、当時の僕が10歳年上の女性に恋をしていた時期と被るからだと思う。
30歳の僕がどう感じるか、今でも切なさはあるのか、そんなことを想いながらの読書です。
サンクチュアリ 作者:吉本ばなな 以下ネタバレ含む
1991年に刊行された30年ほど前の小説です。
僕が読んだのは10年前の大学2年生のころ。主人公の智明と同じ年でした。
サンクチュアリ=聖域という意味です。この小説を読んだ時に辞書で調べて覚えました。
大事な存在を亡くした後の激動の悲しみから再生し始めるところまでを描いた小説だと僕は理解しています。
智明と馨の印象深い出会いの場面
智明は悲しみから逃げてきた海辺のホテルでだらだらと浮かない気持ちのまま過ごしていた。
夜の浜辺を散歩している時に、誰もいない浜辺で壮絶に泣く女性(馨)を見つける。
壮絶な泣き方だけど、なんだか心洗ってくれるようなすっきりする泣き方だと思う智明。
浜辺での泣き姿の描写が詳細に書かれていて約1ページに及ぶ。
次の日もその次の日も同じ場所で泣く女性、眺めていただけの智明も、4日目になってさすがに声をかけた。
お茶をしながらお互い初対面で詳しい事情は知らないが、会話の節々で、お互いの悲しみの深さを感じ取る。
悲しい気持ちをすっと理解してしまう。どん底同士の出会い。
智明と馨の悲しい出来事
◆智明の悲しい出来事
友子は旦那に浮気されていて、高校時代からずっと人気者だった彼女は現実を受け止められない。
自分のことで一杯一杯で多分、本当に恋をしているのは智明の方だけ。そのことに憎しみを感じながらも、それでも友子のことを忘れられず、リアルな夢で友子と会い、起きて混乱するを繰り返す。
誰にも打ち明けられず苦しみ続けていた。
◆馨の悲しい出来事
誰のせいでもない、誰のせいにもできない猛烈な悲しみの中で彼女は夜の浜辺で一人泣いていた。
22歳の智明から見ても平凡で、屈託がなく可愛らしい年上の女性。
こんな人になぜこんなに悲しい出来事が起きるのだろう。
物語の中で語られる馨の明るい過去がより一層、「世の中は情け容赦がない」ことを突き付けてくる。
その過去を乗り越えてきて、明るくいれる馨のことを、尊敬しつつ、少しずつ惹かれていく智明。
どこまでも歩けそうな綺麗な夜の散歩
最後のシーンで、夜、智明はちょっと強引に馨に散歩に誘われて街に繰り出す。
「街中の人が、そういえば夏ってこだったなと1年ぶりに思い出すような夜だった・・・」
月に照らされる街の描写がきれいで、映像が鮮明に浮かんできた。
風が気持ちいね、夏はいいねと話しながら歩いている。
悲しい過去は無くならないけれど、それでも楽しいことはまだいくらだってあるんだ。
どん底にいた2人が明るい月の下で、歩いていくシーンで物語は終わる。
30歳になり読んでみた感想、受け取った気持ちの変化点
20歳の当時はとてもきれいな恋の話だと思った。
悲しい過去はいつか過ぎ去るもので、その先には明るい世界が待っている。
それに疑念がなかったからこそ、素直にいい話だと記憶していたんだと思う。
恋にはどんな悲しい過去も吹き飛ばす強烈なパワーがあると信じていたのか、恋愛にに初心だった僕には本当にそれくらいのパワーがあったのかもしれない。
30歳で1児のパパになった今、読み返してみると、前ほどわくわくした気持ちで読むことができなかった。
子供がいなくなってしまう悲しみは恋では埋められない。
僕の感じた違和感はここだと思う。
馨は20歳の僕にはすごく魅力的な女性だったが、10年でこんなに印象変わるんだなと、
僕自身の生きるステージが変わったことに気づかされた。
何かが終わったことに気づくのはちょっと切ない。
話は変わるけど、
本に直で書き込みしてある当時の自分の気持ちを思い出しながら、当時との印象の違いが何なのか考えながら読み返すと気づきが多い。違和感を感じながら自分と対話する読書は面白い。
以上です。
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