鈴木裕『無=最高の状態』を読んだ感想

お勧めの本紹介
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苦しみとは「何か」と向き合うきっかけと、自分を解放できる可能性に触れた本

今回は鈴木裕さん『無=最高の状態』を読んでみた。

今まで社会人としてモチベーションを保つためにメンタル強化本をたくさん読んできたが、根本の「苦しみ」について徹底的に深堀していた本と初めて出合った。

「苦しみ」から解放され最高の状態を作り出すために、まず「苦しみ」を理解して正確に捉えてから、対策を練っていく。原因分かって初めて正しい対策ができる。

「苦しみ」という抽象的な言葉で、感覚的に理解しているつもりになっていたけど、正確にどういう状態か説明できない。

今までの僕は、対処法はいろいろ考えていたけど、原因の根本を理解していなかった。

怒り、悲しさ、痛みなどどれも苦しい。感情の種類は違うけど「苦しみ」という抽象的な言葉でまとめて安易にカテゴライズしてしまっていた。

この本を読むと「苦しみ」が何なのかが、脳がどういう状況になっているかを理解できる。

読み終わるとすごくすっきりした気分になれる本だと思う。

人はネガティブがデフォルト設定。苦しみは1の矢に2の矢が追従して負の感情が増殖する

まず前提として人間は「苦しみ」自体から逃れることができない。痛みや、恐怖は生存するために遺伝子レベルで組み込まれた仕組みで、哺乳類である以上、変えられない。どうしようもない。

太古の昔は人間が生き抜くためにネガティブな方が生存確率が高かったため、人はネガティブであることがデフォルト設定になっている。太りやすいDNAと同じ。

何かあった時に瞬間的に生じる「怒り・恐怖・悲しみ・不安」などは、遺伝子レベルで組み込まれている警報機能のようなモノ。これを「苦しみ」の1つ目の矢となる。

苦しみには上記で上げたような反射的に発生する一次的な苦しみと、それとは別に脳の発達により人間だけ持ってしまった二次的な苦しみがある。

本能的な苦しみに、脳の発達によって作り出した「苦しみ」が2の矢として追従する。これは自分を中心にして増大するネガティブな感情で、起こった事柄を過去や未来と紐づけて負の感情を増大せてしまう。

動物は過去や未来のことを考えないから1の矢の「苦しみ」のみで完結できる。人間は過去や未来を考えて2の矢、3の矢とどんどんと「苦しみ」を作り出していく。

◆例えばこんな感じ◆
過去:どうして〇〇しておかなかったんだ ⇒ 後悔、自分への怒り、悲しみ
未来:これから先どうなってしまうんだろう ⇒ 不安、恐怖、悲しみ

過去は変えられなくて、未来は何が起こるか実際には分からない。本来は「今」ここで起こった出来事に対するアクションだけでいいはずなのに、頭の中で「苦しみ」を作り出してしまっている。

人間に深く組み込まれた仕組みの1の矢は避けられない。しかし人間特有の2の矢、3の矢を回避するだけで「苦しみ」の大部分はクリアすることができる。前半は「苦しみ」についての理解、後半はこの2の矢以降の「苦しみ」から解放されるための具体的なトレーニングが書いてあった。

避けられない1の矢の「苦しみ」は最初の数秒がピーク。少し経てば収まっていく。

まず朗報、避けられない1の矢の「苦しみ」の感情は長時間持たない事が分かっているそうだ。

怒りを感じた時に脳に分泌される神経伝達物質アドレナリンは、心と体を臨戦状態にするため体が熱くなったり、筋肉が硬直させたりする。しかし数秒すると理性を司る前頭葉からアドレナリンを抑える働きを4~6秒で始めるため、数秒待てば初動の激しい感情は収まっていく。

何かをしたい、食べたい、などの欲望はドーパミンによって引き起こさるが、ドーパミンも同様に数秒すると前頭葉が欲望をコントロールする働きをして初動の激しい感情を抑に掛かる。

前頭葉のコントロールが効きだす前にどんどん「苦しみ」の2の矢、3の矢を加えてしまうことで「苦しみ」は増大するが、数秒を意識的に前頭葉の働きを待つことができれば、激しい衝動はなくなっていて、落ち着いて対処することが可能になる。

最初の感情を抑える大事さは作家の吉本ばななさんが何かで言っていて、僕自身も大事にしていた行動の1つ。ダイエット中の間食したくなった瞬間とか、相手に怒りをぶつけそうになった時とか、最初の感情をやりすごしてみることを癖づけてきて、ある程度効果があるなと実感があった。僕の脳内で数秒の間に前頭葉が欲望をコントロールする働きをしてたことが理由だったんだと、数年越しに裏付けができた。
脳内に分泌される物質で「苦しみ」の1の矢が発生する。そして脳の前頭葉の働きで(理性的)落ち着いて待つことができればある程度は緩和されていく。様々な感情の理由は脳の働きで証明でき、次は脳の機能について深堀している。

脳は物語を0.1秒で作成する物語製造機。ハイスペックが故に作り上げられた世界を生きている

脳は見たものを処理して予測を立てる。0.1秒でストーリーを作りイレギュラーが起きた場合のみ視覚で起きた情報を伝達するが、予測を反映させることの方が10倍以上多い。脳が作った予測の世界を生きている時間の方が圧倒的に長い。

少し衝撃が強い事実だけど、車を運転しているときに当てはめると理解できた。

無意識で運転していて具体的にどうやって運転していたのかはっきり覚えていない。運転後すぐだったとしても危なかったところしか思い出せない。また、慣れたスーパーで買い物している時も同じ、細かくどう動いたかは覚えていない。これは脳が予測した世界を生きていたため、自己意識が介在せずにイレギュラーなく過ぎ去っていったからだったと思う。

慣れた家の中での移動とか、服を着るとか、お風呂に入るとか、イレギュラーが少ない無意識になんとなくでできている行動はほとんど脳の作成した物語の中を生きている。脳のリソースの節約らしい。確かに自動制御みないなもので、疲れずに行動できている。脳のハイスペックさがすごいと思うと同時に、無意識なので少し不安な感じもある。リアルな世界を常に生きているわけではなと、理解しておく必要がある。

そして脳の物語作成には今までの経験や体験が反映されて判断する基準となっている。場面場面で0から判断する必要がなくなり、これも脳のリソースの節約になる。ルールは信号で青だから進むとか、あいさつされたら返すとか、出されたご飯は残さないとか、様々で便利な機能ではある。

だけど脳は瞬間的に物語を作り、その中を僕たちは生きているので、逆にルール化されてしまっているネガティブな感情は反射的に発生してしまい厄介。「苦しみ」の2の矢、3の矢を自動的に無意識に生み出してしまう可能性がある。

そして2の矢、3の矢の苦しみは「自己を起点」に過去未来へ思考が及ぶことで発生する。次は脳が作る自己について考える。

自己は脳が作り上げた虚像である。本当はケースバイケースで変化する集合体。

脳は自己意識「私が私である感覚」も作り出している。僕たちはAさんと会っている私、Bさんと会っている私、子供時代の私、すべて同一人物で紛れもない自分自身だという感覚を持っている。自己に視点があることで、今起きていることを自己を起点に過去や未来を含めてネガティブな感情を膨らませる。これば2の矢、3の矢と「苦しみ」の大部分を形成する。

自己意識が強ければ強いほど、私はこれからどうしたらいいのか、私はどうしてあんなことをやってしまったのか、「苦しみ」が増大する。

本来は場面に行動は結構変わるもの。考え方や行動が統一されているわけではない。ただ脳の自己意識によって自分はブレることがない私自身だと思ってしまっている。「自己意識」を消し去ることができれば2の矢、3の矢は発生しなくなる。

「苦しみ」は1の矢のみで、動物と同じように過去を悔やみ、未来に絶望することはない。「自己」を消し去ることだできるのだろうか?

自己「私が私である感覚」を消し去ることは可能か。また「無」はどのような状態か。

自己を消し去り「無」の状態になることは可能なのか?

自己がなければ二の矢、三の矢を放つことはなく「苦しみ」は長時間続かない。自己が消え去った状態とはどのような感じなのかはっきり言ってよく分からない。

結論、僕たちは結構頻繁に自己を消し去った「無」の状態になっている。

例えば何かに夢中になっている状態は自己が消えた状態が多々ある。小説に夢中になっている時、ゲームに夢中になっている時、何か他のことに没頭することで物語の自動生成機能を休止できる。私が私であるという感覚を忘れている時は「自己」が消失しているので、ネガティブな感情に襲われることはない。

そして「無我」をトレーニングでできるようになることで、自己をなくした苦しみの少ない状況を作り上げることが可能。

夢中になっている時の充実感は自己から解放されて、脳のネガティブ機能が抑制されているからで、感覚的に効果は理解できる。ストレス解消のために何か趣味に没頭することは脳の機能的にも理にかなった行動だった。

まとめ

「苦しみ」は人間に組み込まれている警報機能的な1の矢と、脳の発達によって自己を起点に過去と未来を含めてネガティブな感情を増大させてしまう2の矢に分かれている。1の矢だけで終わることができれば、前頭葉の働きが効いてくる数秒間で大部分が解消される。

2の矢は自己意識を起点に起こるため、「無我」状況を作ることができれば大方の「苦しみ」から解放されることになる。

ブログ内では前半の「苦しみ」につい手の解釈のみまとめています。後半のトレーニングが気になる方は本を読んでみてください。

 

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